いいだのブログ IIDA's BLOG

いつもご覧いただき、ありがとうございます。

2013年09月

Vege by 三軒茶屋 VoiVoi

IMG_0009●伏見にあるVegeさんに行ってきました。東京の三軒茶屋にあるパンケーキカフェのVoi Voiの手がける姉妹店だそうです。

●デビルズパンケーキとかぼちゃのパンケーキをいただきましたが、ボリューム満点!! 甘党の人なら大満足でしょう!!

●ミックスベリーにほわほわの生クリーム。そこにチャコレートをかけていただくデビルズパンケーキ。季節限定のかぼちゃの甘さが口に広がるかぼちゃのパンケーキ。

IMG_0011●名古屋市科学館のすぐ北にありますので、ぜひどうぞ。 






IMG_0013 

☆☆☆ハッピーウエディング☆☆☆

P1001613●本日、妹がめでたく結婚式をあげました!! 私も朝から父の遺影を抱き参加してきました。

●父も心なしか喜んでいるようにみえました☆  

●なんか妹が「飯田」でなくなるのが不思議です 苦笑 先月他界した父もきっと喜んでるんだろうなぁ...   とても印象深い結婚式でした。 

おかげランチ

183cf8d8.jpg
c3c48bf6.jpg
●コメダ珈琲が展開する甘味喫茶おかげ庵でランチでした!


●おかげには鉄板にのってるレトロスパゲティーや、あのシロノワールの抹茶バージョンもあります。


●モーニングには抹茶パンとあんこのセットもついてきます!中川区の篠原橋、そして茶屋ヶ坂や名西のイオンタウンにもはいってます!自分でお団子やお餅も焼くことができるおかげあんにぜひお出かけください!

東京オリンピックが来る

●2020年の夏季オリンピックの東京開催が決まりました。7年後の日本がどのような国になっているのか気になります。

●景気の復活、震災からの復興、北方領土問題、尖閣の問題、在日アメリカ軍の基地問題、消費税増税、とにかく問題山積の日本にこのオリンピック効果はあるのかないのか。

●オールジャパンで勝ち取ったと言われるオリンピック開催権。本当に被災地はオリンピックから元気だけをもらって復興できるのか... オールジャパンで原発問題を先に解決すべきではないのか... 気にはなります。

●巨額な費用の使い道としてふさわしかったのかどうかは、オリンピック閉幕後にしかわかりません。果たして東京に住んでいない住民にはどのくらいの効果があるのだろうか...  

肩こり背中こり

●肩こり背中こりパンパンです。さすが中3の力はすごい!! 一気にもみほぐれますわ!!

●小学生から通っていると、もうこの子が中3なんだーって思います。

●夏期講習とテスト対策の疲れがたっぷりたまってます 笑  はやくリフレッシュしたいですわー!! 

のびてるのびてる

●今回の前期期末テストにおいて、それぞれ何らかの成果を塾生のみんなはあげています。1科目でも2科目でも前回を上回ることができればうれしいです。それでも、なかなか過去の復習問題を学校は入れてきますから、なかなか中2中3は一筋縄にはいかないですね!! なかなか目標点に到達しないから、次に向けて努力をする... とても良いサイクルになっています。

●中3は学校側も内申点を辛口につけてきます。それは、数年前のダブル不合格(A日程もB日程も不合格になった)の経験を経てだとは思うのですが、中2の時よりも2〜3点は下がるケースが多いです。それで奮起して、後期で挽回... 後期で内申5〜6点をあげることも稀ではありません。

●しかしながら、志望校に対してどのくらいの気持ちを抱いているのかが重要です。この時期にもなって、なぜ今自分がその高校を選んでいるのかが言えないことこそが残念です。 「家から近いから」「進学率がいいから」「評判がいいから」そんなつまらない理由で高校を志望するとしたら、すでに受験失敗です。

●「どうしてもその学校でないと駄目なんだ... 」そんな意気込みがオーラとしてあらわれてきている塾生の伸びは他とはちがうのは確かです。自分自身の将来の入り口に立つ中学生の皆さん、就きたい職業を含めて真剣に考えてみましょう。また、みんなはなぜに塾に通っているのか... 将来を悩んだ時に相談すべく、先生たちをもっと上手に利用してくださいね!!

諏訪湖新作花火競技会 VS 雨男いいだ

P1000643●今回、安もんの一眼レフカメラを持参し、初めてシャッターの速度を調節しながら写真をおさめました。この4枚は私がとったものです。まだまだですが、カメラの腕を上げるべく、研究していきたいと思います。



P1000708●福知山の屋台爆発の事故の影響なのか、屋台が全くなく少々寂しかったのですが、それなりに「がら」は保てられていたように思う大会となりました。





P1000625●気になるお天気はなんと見事、クライマックスの花火が終わった瞬間にザーッと降ったものの、本当にパラリと来る程度で、ずぶぬれは回避できました。きっと、8月15日を中止にしてしまった神様のお詫びなのかもしれません 笑

●帰りはなんとスムーズ!! 昨年の遠足では帰宅時間が明け方5時となりましたが、高速に夜9時前にはのり、駒ヶ根SAで休憩しても、夜11時30前には自宅に到着しました。

P1000719●来年もぜひ参加したいと思います。天国にいる父の方が、至近距離で今回の花火を見ることができたんですかね... 苦笑



 

諏訪湖新作花火大会2013

dd9df46f.jpg
e31b7585.jpg
●諏訪湖の夏の終わりの花火大会。新作花火競技会に来ています!諏訪湖の花火は、40000万発あがる8月15日の大会と、9月はじめに15000発あがる新作花火競技会があります。


●天気予報は雨でしたが、なんとか曇りでもってます。長袖でなければ寒く、諏訪湖湖畔で厚着をして19時の開会を待ってます!


●父の遺影もバッチリ持参できています!家族でしっかり花火大会を満喫してきます!

父が教えてくれたこと

P1000495●2013年8月28日午前2時45分  父が逝ってしまいました。享年六十六歳でした。最後の最後に体を張って父が教えてくれた健康の大切さを、少しでも多くの方にお伝えしたくて、すべてをここに記したいと思います。

■病気の発見■
昨年10月頃から、お手洗いの時間が長くなり、はじめは「痔」だと思い込んでいました。11月末に「病院へ行ってきて!!」と普段、父にはあまり話をしないのですが、仕事場から直接電話をかけました。

地元の医者にかかったところ、血液検査の結果が思わしくなく、紹介状をいただき、中川区の掖済会病院にかかりました。そこで、大腸内視鏡の検査を受けたところ、直腸がん(ステージ4)が発見されました。そしてその日のうちに、余命宣告を受けることになりました。あと2ヶ月、抗がん剤が合えば2年程度...  なかなか電話がかかってこないので、検査結果を気にしていた私は父に思わず電話をかけたところ、父は気丈にも「アウトだったー... まぁ、帰ってきたら話すわー...」と、明るく返答しました。私は数分間、頭の中が真っ白になるとともに、父がいなくなる生活を想像し始めました。そして気がついたら私は、癌について調べたありとあらゆるものを印刷していました。
自宅は重たい雰囲気に包まれていましたが、父はすこぶる明るく、『本当にこの人が数ヶ月後には亡くなってしまうのか...』 と思えるほどでした。その日から、癌との戦いがスタートしていきました。

癌が発見された翌日も普通に父は仕事に行きました。1週間、何事もなかったかのように... 早朝に出かける父を家族皆で見送りました。その頃から少しずつお尻の痛みが出てきました。

■通院治療■
主治医の先生と私が初めてお会いしたのが余命宣告の数日後。父と診察室に入り、私が聞きたいことをすべて先生にぶつけました。どのような観点で余命2ヶ月の宣告をされたのか、治療法は抗がん剤以外にないのか、食べた方がいいものはないのか... 先生からは、数種類の抗がん剤の名前が出され、とにかく癌について調べるとともに、抗がん剤の名称、どのように投与するのかを頭に叩き込みました。

あとあと後悔をしないようにと、愛知県がんセンターの先生にも意見を仰ぐべくセカンドオピニオンの制度を利用しました。がんセンターと聞けば、癌の治療だけに特化し、最先端の治療法を提案していただけるものかと期待をしていました。しかしながら、治療法はどこも同じであるということ。ただ、がんセンターはまだ承認されていない薬を人体に投与しその作用や副作用を見る臨床試験が受けられることもあるのだそうです。しかし、セカンドオピニオン時に対応された先生の話では、「病院は少しでも自宅から近い方がいい..」との話もありました。

がんセンターの帰り、一時的に痛みを止めるのにロキソニンでも可能ということを耳にしましたので、スギ薬局で購入し自宅に帰りました。そして、主治医の先生に電話をし、抗がん剤を始めたい旨をお伝えしました。昨年12月初旬、右の肩の下にこれからの点滴の投入口となるポートを増設する手術をするために入院し、数日後には初めての抗がん剤が投与されました。抗がん剤は隔週の火曜日に受けることとなり、通院治療がスタートしました。

本当に数十年、父とは時間をともにすることがほとんどなかったのですが、病気が発覚してから、病院への車の中、病院での待ち合いの時間、昼食、買い物、とにかくありとあらゆる時間を一緒に過ごしました。

■血液検査の数値と抗がん剤の効き目
今年1月から本格的な抗がん剤治療がスタートし、肝臓に転移した癌とともに癌を抑える「アバスチン」という薬品を投与し始めました。抗がん剤と言えば、吐く、髪の毛が抜けニット帽をかぶるといったイメージが強くありましたが、そのようなことはなく、少しずつ痩せ、手や足の先端が黒く色素沈着する程度でした。その頃、毎回、主治医の先生に質問したいことなどを書き出し、先生が説明する薬品名をすべて頭に叩き込み、専門的な用語にもついていくことができるように勉強しました。順調に抗がん剤は効き、肝臓の数値も順調に下がっていきました。と同時に、直腸の痛みもなくなり、このまま良くなっていけばいいのになぁ...と父も話していました。しかしながら私は、「抗がん剤で完治することは厳しい」ということをあらかじめ診察で聞いていましたので、複雑な心境だったのを覚えています。

■通院治療は好きなことができる
自宅療養ですから、日常生活は普通にできます。テレビを見たり車を運転したり、なんら変わらない生活。とても家にがん患者がいるとは思えませんでした。昼食には父の好きな寿司、ラーメン、吉野家、みそかつの矢場とんを食べにいったり、バローに買い物に行ったり... 今ままで二人で飯を食べにいったことなんてほとんどなかったのですが、自分の運転で父の行きたいところを駆け回りました。また体調が良かった日には、定年まで働いていた勤務先に出かけ新鮮な魚を買ってきて、さばいてくれました。

そして、今年5月には滋賀の多賀大社と、福井の黒壁スクエアに、結果として最後となった家族旅行まで行くことができました。私の運転にいちいちケチをつける助手席の父。ほんの数ヶ月前なのですが、遠い昔のように感じられます。父の日にはサンタとマリアとのイラストをプレゼントし、父自身が似顔絵の裏に私の名前と日付をサインペンで記入していました。この頃から第1の作戦として使用してきた抗がん剤のアバスチンの効き目が薄れ、肝臓の腫瘍もあまり小さくはなってはいきませんでした。

■第2弾の抗がん剤とかなわなかった慰安旅行
第2弾の抗がん剤のイリノテカンの副作用を見るために5月末に一時入院をしました。その頃からお尻の痛みも再発し、プラスαの薬で痛みをコントロールする日々が続きました。この頃から、スイカやパインなどのフルーツを食べることが多く、まともな食事ができなくなっていきました。そして6月下旬の父の慰安旅行。残念ながら痛みがひどく、当日に父のみキャンセルをしました。その翌日、救急車を呼びいつもの病院に再入院となりました。これが結果として自宅で過ごした最後の日になってしまいました。排便時に激痛を伴う父。排便があるから食べるのを我慢する... 悪循環になっていきました。

■医者から告げられこと
入院翌日、痛みを和らげる麻薬系の薬を一時的に投与することになりました。あくまで一時的な措置で、薬の効き目も数時間で薄れていくことになりました。そして主治医の先生とともに別室に案内されました。「緩和ケア」を進めていきたいという主治医の先生からのお話でした。私たちの感覚では、緩和病棟はなす術なしの人が入るところで、死を待つだけのイメージがありました。しかし、先生のお話では「人間として最後まで人間らしく生活をできる場」ということを聞きました。家族で相談した結果、一番南側の日当り良好でお花が見える緩和病棟への移動が決まりました。

■緩和ケア病棟
まわりの音も聞こえず静かな環境。緩和ケアでは、通常の治療はなされません。これは国の方針でも決まっているようで、少しでも症状をやわらげるためのケアーを行うところなんだそうです。冷蔵庫もソファーもある素敵なお部屋!! ホテル並みのきれいさで、ナースコールや酸素がついていなければ見間違えるほど!! また、お尻の痛みから、入浴ができていなかったのですが、数日に1回の入浴もしていただきました。病棟内ではピアノのコンサート、セラピー犬とのふれあいもありました。また、家族の心のケアーもしていただいているようで、居心地のよかった空間でもありました。

■娘の花嫁衣装と終末期
8月になるとすっかり衰え、食事は点滴で栄養を入れていくのみ。薬のせいで、意識ももうろうとし、会話が成立することが少なくなってきました。仕事の合間を縫って病院に足を運びましたが、話をできるタイミングに出くわすことが稀でした。しかししっかり手を握り少し大きめの声で話しかけたりしました。そして、9月に結婚式が決まっている妹の花嫁衣装を病院で父に見ていただこうと、緩和ケア病棟のスタッフの粋な計らいで、亡くなる前日の8月27日、ピアノが置いてあるロビーで披露宴を行っていただきました。主治医の先生、以前の病棟から看護師の皆さんも来てくださいました。昏睡状態の父でしたが、妹が退場する際に「もう帰っちゃうよ!! 見なくていいの!?」と私が声をかけたところ、すーっと目を開きました。その頃には腹水がたまり、足もむくんでいました。

■最後の呼吸
いつもより危険な状態ということで、その日の夜、母が病院に泊まることになりました。そして、8月28日になったばかりの夜中1時半ごろ母から電話があり家族皆病院に集まりました。私が病院についた時はあきらかに通常とは違う呼吸をしていました。あごで呼吸をし、少しずつ顔にも黄疸の症状が見られ、カテーテルを使って外に出していた尿も少なくなっていきました。そして、深夜2時11分、呼吸のリズムが変化し、眠るように逝ってしまいました。しばらくの間、看護師の方も優しい声で「飯田さん...飯田さん...」って声をかけていただいたのですが、再び呼吸をすることもなく、再び目を開けることなく、看護師の方が止まっている脈を確認しました。「うん...うん... お父さんよくがんばったね...」看護師の方から声をかけていただいました。幸運にも、その日の夜勤の担当は、父の主担当の看護師の方でした。その時「すべてが終わったんだ...」と思うとともに、看護師の方に、「痛がらず眠るように向こうに逝くことができ、最高の緩和ケアをしていただき、ありがとうございました」と胸の内を伝えました。

■帰宅
亡くなってから1時間ほどしてから、体を拭いていただきました。体を拭くまで、ベットに横たわる父にまだくだが刺さったままの点滴... もちろん電源は落としてはいますが、使用途中の栄養剤... やりきれない思いでした。さっきまで点滴も動いて父も生きていたのに... 父が最後に自宅から救急車で運ばれ59日目、やっと帰宅することができました...

健康診断に行くこと、カメラを入れてもらうこと、野菜を中心としたバランスのよい食生活を心がけること、人間の基本は健康であるということ。父に教えてもらいました。

子供達の乗る車の中で煙草は吸っていませんか... 野菜が嫌いだからといって子供達の食卓に肉ばかり並べていませんか... 保護者の皆さんお酒ばかり飲んでいませんか... 適度な運動はされていますか... 病院嫌いではありませんか... 

健康ほど素晴らしいものはありません。食の欧米化が進む昨今、今一度、ご家庭の食卓は過去に逆戻りさせてみてください。本当に、病気になってからでは遅いんです... 

●親孝行できたのかな... 自問自答する毎日です。親孝行したいときに親はいない... やっとこの意味がわかったような気がしました...







 
アクセスカウンター
  • 累計:

★訪問者数★

    ★記事検索★
    ★ギャラリー★
    • 新しいブログ 引っ越し先です
    • ハロウィン見納め
    • 江ノ島遠足プロジェクト2
    • 中3秋講習でした
    • あしたから仕事かあ... とか思わない
    • ボツテイク
    • ハロウィン企画お菓子配りのまとめ
    • ハロウィン企画お菓子配りのまとめ
    • ハロウィン企画お菓子配りのまとめ
    • ハロウィン企画お菓子配りのまとめ
    • ハロウィン企画お菓子配りのまとめ
    • ハロウィン企画お菓子配りのまとめ
    • 中1にひとこと
    • でた1等!
    • 次男が会場を盛り上げました 笑
    LINEでIIDA's BLOG
    LINE読者登録QRコード
    ★月別でチェック★